軌道敷跡が道路となったところ 6 設楽町清崎付近
清崎全景、写真右上、道路が見えなくあたりが上記の写真の場所。右下青い屋根のあたりが当時の清崎駅 |
写真真ん中あたりが清崎駅。駅のホームらしきものがなんとか確認できる。 |
上の写真真ん中あたりの257号線から田口方面を望む。当時は左に大きな製材所があった。 |
当時の同じ位置からのショット。晩年は清崎が事実上の 終点であった。 |
清崎駅から田口方面に向かいすぐのところにある橋(塩津川橋梁)からのショット。自動車が見えるあたりが信号で左には清嶺小学校がある。田口線は信号前方、道路が右に曲がるあたりからまっすぐ川を渡っていた。(第三寒狭川橋梁)右の写真はこの地点から少しズームアップしたものと考えてよい。 |
左の写真よりやや田口寄りから田口方面を撮ったもの。この交差点は左写真の信号の場所。前方をよく見ると軌道敷跡の色が変わっている。黒いところが左写真前方にある第三寒狭川橋梁。トンネルの中央から第三寒狭川橋梁手前までの約1kが当時の軌道敷跡。右角の家は踏切番のおばさん宅。 |