御堂山観音

 御堂山観音は昭和25年長江にある御堂山から田口へ移転した。 脇舎の白山神社が出兵者のため田口に移転したためだ。脇舎についていくのは筋が違うと思うがやむを得なかったのだろう
 1390年開基のお堂は何度も焼け落ちており、今の建物は江戸中期から後期のものみられている
 御堂山観音内部、本祭りが行われているところ.。やや左、光って見えるのがご本尊である聖観世音菩薩
   聖観世音菩薩

 聖観世音菩薩は御堂山観音のご本尊である。
 年代は不詳だがさほど古い像ではないと思われる。
 本尊が弘法大師作と言われたのは御堂山観音堂が真言密教系の寺院であったことにもよるが、この地域にも広く伝搬している弘法伝説(空海が旅の僧となってこの辺りにも多くの奇跡を残していった)の一つだろう。
    杉平十一面観音像

 この仏像の背面には天正元年(1573)11月18日の墨書きがある。この観世音には言い伝えがあり、昔ここを通りかかった六部(旅の宗教者)が背負ってきたこの仏像と杉平の観音像を取り換えていったという。彼は江戸吉原に帰りその観音像を安置したところ霊験あらたかで世人の崇敬を集めたという。これが今の浅草寺の本尊で、その背には「三州杉平」と刻んであるという。しかし浅草寺のご本尊は川から拾ったものでありこれは事実ではない。吉原に安置されたと聞くので「生まれては苦界死しては浄閑寺」の浄閑寺ではないかと期待しているが多分違うだろう。
 しかし、ちょっといい話だ
   三十三面観音

 三十三体の仏像が並んでおり、三十三面観音と呼ばれている。願掛けか、心願成就したお礼に個人が奉納したものと思われる。奉納者の名前と住所が書かれており、江戸末期から明治初期にかけてのものである。
 当時の住民の御堂山観音に対する信仰の深さをうかがうことができる
   御堂山観音千疋馬(絵馬)

明治四年(1872)、近郷の多くの馬主によって奉納された絵馬である。御堂山には「風越36人衆」と呼ばれる伝説の天狗がいる。天狗は馬の守り神であったことから、御堂山観世音は馬の関係者から多くの信仰を集めていた。3枚がかけられている。当家先祖熊太郎の名前もどこかにあるはずだ
 田口への移転前、長江の御堂山にあった当時の御堂山観音の貴重な写真。当時の写真はほとんどない
 分かりにくいが御堂山観音の右、わずかに当時の小さな白山神社が見て取れる。今とは全く違い、当時はとても小さかったのである
 上と概ね同じ位置からの現在のショット。石垣はなくなり植林されて随分変わってしまった。しかし現地へ行くと少しだけだがその雰囲気は感じられる。
 石垣が残っていないのは移築する際に田口にもっていったのだろう

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